思い出す

いつだったか、私の関心の根っこの部分は「好き」だとか結局「愛」についてだって書いた。その時点では、というか、関心の根っこについて考え始めたときからそう思ってたんだけど、それって間違いだった。
あるとき読んでたウィトゲンシュタイン入門の始めの方に書いてあった「なぜこの子が自分であって、隣にいる子が自分ではないのか」って疑問について、私はあまりピンとこなかったんだけど(その疑問の意味は理解している)、友人は「自分も小学生の時まったく同じことを考えていた」と言い、別の誰かも、(私の説明を正しく理解していない場合は誤りだけれど)そういうことを考えたことがある、と言っていた。そんなことをおそらく考えたことがなかった私はなんだか自分を情けない様に思った。それはあんまり正しくない感覚だけれど。
今日、実習先で知り合った初対面の女の子と立ち寄った古本屋で見つけたミツバチのキスという漫画。すべて思い出した。私が不思議に思っていたこと。どうして私以外の人の頭の中が見えないのか。気づいたのはいつだったか。それまでの私は人の頭の中なんて気にも留めなかったのか、それとも頭の中をみることができたのか。いつしか人の心が読めなくなったぼく地球のブンさん。人の心が聞こえてきて苦しんでいたシャーマンキングのアンナ。逆に自分の心の声が一定の距離の人間に届いてしまうサトラレ。私はいつも気になっていた。わたしじゃないあの人やその人の頭の中にはどんな内容が起こっているのか。どうして頭の中が見えないのに人は何かを言葉で伝えられるのだろうか。そしたら、そしたら愛を語り合う二人はてんでバラバラにとんちんかんなコントをしているんじゃないのか。それがなんだかとても恐ろしかったから、私は好きだとか愛が分からないことにした。好きはきっと感じて分かっていたけど本当に理解できた気がしなかった。何かを本当に理解することなんてできるんだろうか。そしてこのプロセスがこれまでの私だ。
何の説明もなく出てきたこの『実習』は学芸員の資格をとるための課程で、それ自体は私の専門とはまったく関わりがなかったのだけれど、この実習が何らかの形でわたしの思想に何かしらの変化をもたらす予感が強くある。実習は残り一日。