4-1925

友達と言ってくれても、本当は既に友達にもなれなくて、全ては取り返しのつかないことで、欲することは本当に恐ろしいことである。
人の気持ちなんて分からないもので、自分の気持ちなんてもっと分からない。私は何を求めていったのか、元通りではなく、ではなんだったのだろう。
19年のうちの4年はたいそう重たくて、これまでの私の人生の多くであるだけでなく、これからの人生でもこの4年がしゃしゃり出てきてはなにか悪さをするんだろうか。
8月の3週間は、世界中では3週間でも、きっと私の時間では3週間よりもっと長かったのだ。
美化しているのはよく分かっていた。美化された私の中にしかない世界においてですらもうどうにもならなくなっていた。よくよくわかっていた。どうにもならないと分かっていながら、それでも足掻こうとして、本当に全くもって無様で醜い。
けれど、本当に好きだったから私はこんなことをしたんだろう。綺麗に汚れないままに人を好きでいることは私にはできない。今そのエネルギーはないけれど、壊してしまいたくなるほどに狂おしいほどにいとおしかったことがあって、そんな時が本当にあって、その対象は今まだ世界に存在している。きっとまだしばらくはその破片を拾うたびにくすぶって痛い思いをするのだ。
まだ暑くなる前、私はもう泣かなくて過ごせると思った。またしばらく泣いて暮らすことになるだろう。

オフの電源のない光る玩具が誰も見ていないのに光っていて悲しい。放っておけば次第に光も小さくなって消えるのに、消える前にまたボタンを押して、自分の背後に置く。

辛くても生きていかなくてはいけない。