To be or not to be.

今朝電車乗ってたら非常に気持ちが悪くなって、学校のひと駅前で下車した。吐いたは吐いたけど、そんな大変な吐き方をしたわけじゃなくて、朝ごはんにやっと飲めたコーンスープを一口吐いたようなもん。胃液も混ざってなかった。たんだかつばだかが混ざってて。それで最初の授業は出欠とるぎりぎりになってしまった。げろげろと吐いたわけじゃない。でもだからこそこんなののために時間ロスしたのかっていう。我慢できたんじゃないかと。でも我慢してどうすんのって感じもした。急行で次の停車駅を待つ切実さは本当だった、まちがいなく。多分今日のは副作用に一端があったんだけど、どうやら風邪も引いてたからみたいで、体調管理もそんなやらなきゃならないのかーって。生理は3日4日だったけど、そのあと風邪引いちゃってけきょくぐだぐだってなってしまっている。悪い癖だって言おうと思ったけど、別に昔はそんなんじゃなかったぞっていう
昨日の話でした。
 

なんか、薬のんで、痛み止めももらって、そんで今回の生理が楽なのはそれでいいことなんだけど、いたくなくていいのかなっていうへんな気分にもなる。痛いときは本当に痛くて、一ヶ月の十分の一がものすごい苦痛に宛がわれているのは、本当に本当に苦しくて間違いないんだけど、それって、月に3日はものすごく生きてることをまざまざと確認させられてしまうイベントであったのは間違いない。月に一度のネガティブに生きてることを確認するチャンスをなくしたのかなと思った。痛くて社会生活送れないのも、内膜症の問題が痛みだけじゃないのもよく分かるから、そんなあほみたいなこと言わないけどさ。
でもいまこんなことしてて、結局何らかの理由で子供をさずかれないってなったらどうするんだろう。まあ現時点で全摘したりしないのは、子供が欲しかろうがそうでなかろうがごく自然な流れなんだけど、でもこの治療は子供に関しては大きく関わっているもので、ここで多少なりともたいへんなことをしてるのに、まだ何かあるのって思うだろうな。
昨日テレビで一生懸命不妊治療していて、でもなかなかうまく行かない人が出てきて、結局その人は前向きな決断?をしたんだけど、それって何かとがんばった結果であって。私がそうなったら頑張れるのか、駄目でも自分を人間とか女って認められるのだろうか。