こころもちどんよりしています。山積みの将来はきれいな水墨画というかんじ。私勉強してなんになるんだろうとか海外行ってまですることあんのかとか、どうせ女の子が勉強したって何にもならないんじゃないのとか、大学の勉強ってほんとうはかしこい人たちだけがやるべきなんじゃないの、お金もったいなくないとか、どうせ死んじゃうじゃんとか、体が健康じゃない人間なんかに価値あんのかとか、これが人生のモラトリアムな考え事なんですかね。本でも読めばいいんだけど、下へ下へ向かってるときに本を読むのは難しい。というか全然本読んでない。それこそ大学生である意味を果たせていない気がする。
講義で、神経症なんかを患う人が、他の、痛みを伴ったりする病気のように病院に行こうとしない理由を、患者が症状を楽しんでいるからだ、という考えがあったけど確かにそれもそうかもしれない。先生が身近なものとして挙げたうつは失恋で、まあ挫折でも何でもそれに浸っている間は、確かに辛いけど、でもそれでいいと思っていたりする。まあそのうつで死ぬのかってのは別だけど、でも死に至るほどの重度なうつも、最初は軽度のだったわけで、治らなかった/治さなかった/治せなかった結果としてそうなっているわけで。
守ってもらうことと縛られることは少なくとも私の体感する周りでは密接にかかわっていて、子供が親からの庇護を受けながらも反発しているさまみたいだ。守られる安心感ともっと自由に解き放たれていたい気持ちのどちらか一つ選ばなきゃならないのは苦渋の選択であると思う。まあ親子間に限って言えば、ある程度段階的に開放に向かうものだと思うけど。
それでもやっぱり動かなきゃいけないので、私はより面白そうな方を選ぶべきなのかな、と思います。まだ若いしね。