いつまでも

わたしはいまだに自分のことを少女だと思って生きている。じきに二十になる。二十になった朝もきっと、わたしは今のまま自分を少女だと思っているだろう。
こんなことがあった。講義の時私の後ろの二人組がずっと喋っていて、先生が「そこの女性二人、静かにしてください」と言った。ドイツの語学学校で出会った23歳のダッシャーは「私には4歳の娘がいるのよ」と言った。26歳のアーニャは、自分の国でドイツ語の先生をしていたけれど、立ち振る舞いは私たちのそれより少女らしいものだった。
少女と女性の違いは実際のところよくわからない。けれど後ろのうるさいのは女子だし、19で子供を産んだなんて(ありふれたことではあるけれど)わたしの知ってる世界ではなかったことだし、アーニャは年下の娘さんかと思った。彼女達は少女であるのか女性であるのか。外から定義づけられる物だとしたら、じゃあわたしはもう少女じゃないのか。だとしたらわたしはいったいだれだ。少女じゃなくなったらなんになればいいのか。どうして少女じゃなくなるのか。わたしがそうだと思ってることと他人が思っているところのギャップが恐ろしい。
「子供と呼べば汚されないで済むのさ」




内膜症になる前、わたしは当然のようにいつか結婚して何人か子供を産むだろうとぼんやり思っていた。内膜症になって、子供ほしいって気持ちに輪郭ができて、ちゃんと治療せんとなって思う。そして今。なんだかすごくどうでもいい。先月終わりに帰国してから一応予定では最後のオーソのシートをのむはずだったんだけれど、どうしてか飲み始められなくて、1か2週間遅れで飲み始めて、それもちゃんと毎日飲めなくて、そしてあろうことかシートごとなくしてしまって何やってんだばかって感じになってる。一年薬飲んでて、それこそ歯磨きくらい定着していたはずの薬飲むっていう行為がどうしてできなくなってしまったのがよく分からない。
今年は震災とか留学とか短期間で価値観を変える様なことがいっぱいあってこれまで以上に自分で自分が理解できない。