なんだか胸が痛い。物理的な痛み。
日記、書きたいことたくさんあったのにもう1カ月も書いてなかった。もったいない。


夏休みに行きたくても行けなかった鹿児島の母の実家に、先週図らずも帰ることになった。
水曜日大学から帰ると、母が「おじいちゃん脳内出血で倒れたって。もう意識戻らないって。自発呼吸だけどたまにとまるって。」といわれた。意味がよくわからなかった。家に着いたら「秘書検定申し込みしたんだけど、切手ある?」っていう予定だったのに。でも「どうすんの?みんなで鹿児島帰るの?」「お父さん帰ってこないとなんとも。でもあっちいく準備はしといてね」ってなって父を待った。父母の話し合いの結果、次の日の朝母だけ飛行機で鹿児島に飛んだ。昼に着くと、どうにも避けられない(回復のためでない)手術の後で、やはり意識はないけれど間に合ったようだった。その日の晩訃報が届いた。翌日が友引だったために通夜と式はずれ込み、一旦母は戻ってきて、さらにその翌日全員で鹿児島に向かうこととなった。財政的に飛行機に乗ることは不可能だったため陸路と水路で向かった。
目的地に着くと式の2時間前だった。平服のまま先にお線香をあげて、誰かがお顔を見たら、と言ったけど、見る気がしなくて着替えに行った。おばあちゃんが手を握って よく来たねえ、じいちゃんだめだったよ って言われた時は目頭がってなったけど、こらえた。葬式は、父方のとは違う宗派だったからお作法とかお経とかが違うから興味深かった。一通り済んで出棺前のいろいろで初めおじいちゃんの顔を見た。別人みたいでだれだか分らなかった。以前に祖父母二人見送っていて、だからなれたもんだろうと思っていたのになにだれじいちゃんどこだよって思った。というかじいちゃんがこうなっちゃったことがショックで、もう今はお棺の中のじいちゃんの顔は思い出せない。とにかく涙が止まらなくなった。化粧しなくてよかったなーとか頭の隅では思ってるのに、涙はどんどん出てきた。
病に倒れたもののそこそこ生きたじいちゃんを焼いている間は親戚どうしでたくさん話した。同年代はほとんどきていなかったからいないのかと思ったらただこれなかっただけらしかった。初めて収骨をして、骨が大きくてびっくりした。とても先週元気に畑仕事してた人間だったものだとは思えなかった。たぶんわたしは足の骨のどれかを壷に入れた。じいちゃんが壷に収まるとか、意味わかんね。
泣いたのは葬式のその時だけだったけれど、終始どんな顔して何を考えればいいのか分からなくて困った。鹿児島に帰ると決まった後に、思い立ってビートルズ集をiPodに入れたのだけれど、道中全く聴かなかった。テクノと他に少しだけ入っていた洋楽と林檎さんだけだった。


ずっと気持がしっくりこなくて、かなしいのもつらいのもよくわからなくて、そんなときに身内が亡くなって、これはどうとらえればいいんだろうって考えていたのに、東京戻ってきて日常に帰ってきて、またうすぼんやりとしてきて、後悔。やるべきことをちゃんと考えてやっていかなきゃいけないけど、忙しさにかまけてそういうことを考えなくなるのは嫌だ。