そして、これまで

昨日勢いに任せてだーっと書いてしまったけど、よかったのかな。まあ、この病気の治療はとても日常的なものだから、この日記の1カテゴリーとしてあるのはいいのかなと思ったんだよね。でももし、こことは別に治療日記なるものを書いたほうがいいかと判断した場合は、新たに別の日記を作ると思います。そのときにここにリンクを貼るかは分かりません。


他のこれからの患者さんのため、とかいったらおせっかいも甚だしいと思うから、備忘として内膜症が発覚するまでと自分の気持ちを、風化する前に書いちゃおうと思います。
簡単に私の状態を説明すると、右の卵巣のあたりにわりとでっかいのう胞ができていて、それはチョコレート嚢腫はありませんでした。
発覚のきっかけとなったのは生理痛ですが、生理痛自体は小学校のときからたまにありました。中学校の間は、市販薬をのんだり、なくて学校にいるときは、本当にきつい授業の時だけ保健室にいくとか(月に1時間分あるかって程度)、そんな感じで一般的?というか、日常生活に支障を来すようなことはありませんでした。高校に入り、そのままやんわりと生理痛と戦う日々でしたが、1年半前、3年生の4月ごろ(もしかすると2年の冬かも)から恐ろしく生理痛がひどくなりました。この頃は市販薬も効き目が悪くてバファリンルナなんかは気休めにもなりませんでした。ちなみに愛用はニューカイテキ錠A。錠剤が大きいので友達にはよくそんなものが飲み込めるねって驚かれてました。バファリンとかがメジャーなんだろうけど、置き薬が定期的にやってくるので富士薬品のお世話になったわけです。でも私にはこれが何よりも効くと思うんだ!しかしこの頃は、風邪を引く事が多くて、いけないと知りながらも総合感冒薬と鎮痛剤を併用することがままありました。もちろん保健室の先生にも怒られたよ。でも風邪薬ものまないと効かないんだもん。
3年の間は、風邪&生理が割とデフォになっててベッドから起きられないor学校いっても早退が相次いで、受験生なのにこれはまずいんじゃないか!ということになり秋ごろ最初の病院の門を叩きました。
初回の診察では、とりあえず問診を行い、鎮痛剤と子宮の収縮を抑える薬をもらいました。これにより痛みはすっきり改善!しかしまあこれだけ痛いと何かの病気が疑われるわけで、先生にはエコーを勧められたのですが、諸事情により、肛門から入れるような形を提案されました。でも明らかに嫌だし、しかも先生男だし…とごねて結局その後その病院は行っていません。
ちなみに昨日書いたカイロ常用は3年生からですね。最初保健室の先生に湯たんぽを借りたのですが、いつも暖めたいならこれだよね、というはなしになって。それにしても暖めるっていうのはとても痛みに効果があるんです。しばらくは市販薬&カイロで凌いでいました。
新たな変化がおきたのは今年の5月。生理2日目の午前が大体生理痛と経血が高まるのですが、それからの2月は夜用のロングが2時間程度で溢れる事態となり、いくらなんでもおかしいだろということになったわけです。
ちょこっと脱線すると、これまで経血の量は?とたずねられても要領を得た答えはできなかったのですが、よく「レバーのような」といわれる血の塊が出る時点で過多月経と言えるそうです。それは初潮が来たころからずっとじゃなかったか…?しかし5月だったか6月だったか経血がめちゃくちゃ出ている最中、内科で血液検査を受けましたが、ばっちり正常値。血の気が多いのだろうか。
そんなこんなで6月のどこだったかな・・・で今通っている病院に行ったのです。ちゃんとした調べして、今度は女医さんのところにしました。初回では、問診を行い、血液を採取し、MRIを受けてくるよう指示され、帰りました。(クスリがもらえると思ったのに/(^o^)\)その後時間が空き、この次に病院に行ったのは9月なのですが、まあ古い記事を見たら察していただけるでしょうか、7月後半まで忙しかった上にMRI嫌いだったのですよ。それでもなんとかMRIを受けて、次回の診察に行くわけです。(ここまで親に散々早く行きなさいと急かされました)
そして、運命の診断結果。子宮内膜症でした。最初に聞いたときはふ〜ん。って感じでした。最初の病院でも疑われていたし。ただ聞いたときは、名前から子宮の中が腫れてんのかなって勝手な妄想をしてて、詳細を効くうちにげっ!ってなりました。そんな簡単なものじゃなかったのね。それでも先生はよくある病気であることや、死に至る病でないのを丁寧に説明してくれたので、割とすんなり受け入れられたほうだと思います。病気に対する恐怖なんかはそれほどなかった気がします。それよりそのあとに控えている婦人科検診がよっぽど怖かった!まあそれで昨日みたいな治療の話をし、ピルという薬は生理が始まってから飲めばいいので、お母さんにしっかり説明してから受け取りに来てくださいって言われた。そのあと乳腺の検査をし、婦人科検診を逃れ、看護士さんからピルの服用について説明を受けて帰路に着いたわけです。
最初に結果を伝えたのは意外にも恋人でした。親を差し置いて(笑)まあとにかく心配してたから。多分結果を聞いて少なからずショックを受けた模様。というか、私よりショックを受けていたんじゃないだろうか(笑)
そんで恋人のお母さんの知人の内膜症の話を聞き戦々恐々。まあこれはホルモン剤の投与による副作用が強かったみたいで、私は心配なさそうですが。それでがんばろうねって言ってくれた。親がいるからもともと独りってわけじゃないんだけど、ひとりじゃなくてよかったなあと心底思った。きっと治療の上で恋人の存在は大きな力になってくれる、と思った。
それで家に帰り親に報告し、「やっぱりお母さんが行った方がよかったじゃん」って言われて、「え〜先生がお母さんのいた前回より心なしかやさしく思えたもん」なんていって笑ったりした。父には、ピルを飲むのには賛成だけど、自分で本を読んで勉強して納得してから受けなさいって言われた。まあ正しいことは言ってるけど、じっくり読む時間はないかな。というか課題ほっぽり出してこんなことしていいのかなあ…。


って感じで私の闘病生活は始まったわけです。だいぶやんわりですね。まあ、子宮頸がんとか、やべえ死んじゃうかもっていうものでも、赤ちゃんを自分じゃ産めないって言われたわけでもないし、まあ治療はこれからだから、いいことばっかり起きるかもしれないし、いいことに覆いかぶさるくらい辛いことも起きるかもしれないけど、今心配したって仕方ないし、楽観視してピルの治療に臨みたいと思います。