はたちになるわたしは

成人式を明日に控えたそんな今日思っていること。
式自体にはほぼ思い入れもないが、とにかく今そわそわが止まらない。一番近いのはセンター試験の前日。あのときと違うのは、翌日によって追いつめられていないことかな。でも明日が来て終わっちゃうのが怖いな。別に成人式に出たからって何も変わらないはずなんだけど。これが通過儀礼の力か。でもきっとちょっとだけ変わっちゃうんだろうな。みんなどんなはたちになったんだろう。


あと成人や式とは関係ない思っていること。とにかくなんだか片っ端から悲しくてさみしくてはずかしくて切なくて情けなくてうごおおおおおおおおおおおおおおおってなる。でも髪伸びたなあとか、ネイルした自分の爪みてにんまりしたり、なんかそういう小さい小さいことでバランス取ってるんだなって、女の子っつうのはもしかするとそういう生き物かも知れないなって思った。
最近は、というか大きな別れの後はほっとんど泣かなくなった。あんなにひっどい泣き虫だったのにな。泣いたらすっきりするんだろうなって思うのに、なんだかかなしくても泣けなくなってしまって、いいのかなあって思う。泣かないことは、もしかしたら前より強くなったということかもしれないけど、でも、わたしはよく泣いていたころの自分のほうがいい、というかすきだったかもしれない。

あとやっぱり愛だの恋だの、ってぜんぜんわたしにはわからない。大体しんどいし、必死な時は痛覚が鈍化するのか、おそらく心は傷ついてるんだけど、それを無視して突っ走れちゃうから、我に帰った時、なんかじぶんぼろぼろじゃね?っていうのよくある。それでも恋をしたいと思っている。でもその恋もたぶん高望みで、理想と現実の隙間に落っこちちゃってる。
終わった恋の話をしたとき、どんな文脈だったかあいまいだけど、それって恋するハードルすごく高くなってない?って言われて、そうかもなー重く考えすぎかもなーとかその時思ったんだけど、でもほんとにそのくらい重く考えるくらい好きにならないと、なにか行動を起こすなんてもう怖くてできないよなあって思う。自分も、相手すらぼろぼろにする覚悟がないともう誰かに好きなんて言えないよなあって思ってしまった。相手を傷つけてしまうかもしれなくても行動せざるを得ないくらい好きにならなきゃ無理だなって、そう思うのだけれど、行動なしにそこまで誰かを好きになることなんてできんのか、とも思う。これはきっと一時の感覚にすぎない、と思う。

今一番つらいのは、ひとりの仲良くしている子への感情。たぶん3つくらいの感情が入り混じって、その子のことを考えると、あの言語化できないぶわーっと襲ってくる感覚で死にそうになる。つらい。これまでみたいに仲良くしてたい。明後日、ふつうにふるまえるかな。彼女と相互に持っているのは、3つのうちの一つの唯一いいもので、それゆえ勝手に抱いている他の二つはその子にはまったく身に覚えのないものだから、そんなんで不自然にふるまうなんて彼女に対して悪い。一番いいのは、なにも考えないこと。


ちょっと前は哲学のことで頭いっぱいだったのに、今は人間関係に頭をもたげています。頭ん中が忙しい2012年のはじまりです。